日時 平成17年12月10日 会場 飯塚市のがみプレジデントホテル 主催 遠賀川流域住民の会 |
基調講演
煉瓦と石材でできている 筑豊の明治の鉄道
講師 遠賀川河川事務所所長 松木 洋忠氏
筑豊の筑豊らしきものは? | |
・日本の殖産興業、経済成長を支えた筑豊炭田 ・明治の炭坑開発の一翼を担った鉄道、今でも現役で頑張るインフラ. ・その材料は「煉瓦と石} |
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明治時代に導入された煉瓦 | |
・わが国最初の煉瓦は1857(安政4)年に着工した長崎鎔鉄所(三菱重工長崎造船所)の赤煉瓦。その後、明治政府の施策に伴って、全国の鉄道構造物の主要材料になった。 ・煉瓦の製造は、需要のあるところで、明治20年までには、窯の改良、大量生産化がすすみ、足立区、知多半島、広島などでは、地場産業になった。(九州には大量生産地はない) ・鉄道構造物としては、阪神間の石屋川トンネル(明治7年完成)の覆工等に、堺で製造された煉瓦を使用したのが始まり。 |
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日本伝統の土木材料、石材 | |
・石材は歴史的土木材料、日本では専門の石工集団が城郭石垣や石橋を多数建設した。 ・鉄道建設にも用いられ、新橋-横浜間の鉄道(明治5年開業)では、相模、伊豆、品川台場の石材を使用。 ・日豊線、日田彦山線等は安い石材が使用された。 ※1907(明治40)年~1911(明治44)年に建設された日豊本線柳ケ浦~大分では、すべてを煉瓦積みとする計画で、大阪、和泉、讃岐、広島から供給を受けたものの、煉瓦が高価なため、できる限り石材を使用。石材は主として沿線に産出する輝石安山岩から良質のものを使用。 |
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セメント材料の導入 | |
・日本最初のセメント生産は、1873(明治6)年に東京深川の官営工場(後の浅野セメント、日本セメント) ・セメントは、石灰石を原料とする生産工程が必要なため大量生産が難しく、土木工事の中では高価であった。 ・そのため、煉瓦や石材を補完する材料として、煉瓦を接合する際の目地などに適用された。 |
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煉瓦構造の終焉 | |
・強度が大きく経済的に優れているコンクリート構造の普及に伴って、大正以降、煉瓦構造は減少した。 ・1923(大正12)年の関東大震災で「煉瓦は地震に弱い」というイメージをもたれたことも鉄筋コンクリートの普及に拍車をかけた。 明治 煉瓦と石材時代 大正 過渡期 昭和 コンクリート時代 |
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現役の煉瓦構造物 | |
・最も古い煉瓦の土木構造物は、1874(明治8)年開業の東海道本線大阪~神戸間、つづく1877(明治10)年全通した東海道本線京都~大阪間にも多数ある。 ・明治20年代の筑豊鉄道、豊洲鉄道(行橋~伊田) 明治40年代の小倉鉄道(城野~伊田)にも多数の煉瓦・石材の構造物が現役活躍中である。 ・煉瓦校動物の存在は、的確な設計、的確な施工、的確な保守管理の3条件がそろっている限り、100年以上の使用に耐える。 |
豊洲鉄道 勾金~後藤寺 |
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香春町勾金駅 |