2013年へ

 
日時  平成25年11月24日(日)13;00〜
会場  水巻町中央公民館
主催  NPO法人遠賀川流域住民の会
     遠賀・中間広域連携プロジェクト推進会議・嘉飯都市圏活性化推進会議
     直方・鞍手広域連携プロジェクト推進会議・田川広域連携プロジェクト推進会議

遠賀川は人々に限りない恵みを与え、生活に潤いと調和をもたらす私たちの「生命(いのち)の川」です。
そして、産業・経済の礎となって流域の歴史を育んできましたが、近年、水質汚濁やゴミの不法投棄など問題が発生しています。
そこで、流域住民が立ち上がり、流域の各地で河川の清掃活動や森林の保全活動を展開してきました。こうした活動団体や流域住民が一堂に集い、情報交換や交流を深め、より一層活動の輪を広めるために「ILOVE遠賀川流域住民交流会」を開催してきました。

19回目を迎えた交流会は、11月24日(日)、水巻町中央公民館で開催。今年度は、福岡県と20の市町村で構成される「広域連携フォーラム」と連携して初めて取り組みました。これまで以上、県・市町村・活動団体・住民が一体となって地域活性化を進めていく契機となることを願って開催したします。

福岡県では、これからの地域振興には市町村の区域を越えて地域全体が連携した地域づくりが大切と考え、このため県内を15の圏域に分け、県と市町村が連携し、それぞれの地域の特色、強みを活かした広域連携プロジェクトに取り組んでいます。特に、遠賀川を生かした取り組みとして、遠賀川の写真・スケッチコンテストをはじめ、花の植栽事業や地域の子供たちの人材教育事業などを実施しています

今回の基調講演では、来年のNHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」が放送されますが、黒田藩と遠賀川の関わりなど「官兵衛(黒田藩)と遠賀川の関わりについて」をテーマに牛嶋英俊氏(福岡県文化財保護指導委員)にお話していただき、また日頃より活発に地域で活動されている団体の皆さんに事例を通して発表していただきました。減る
開会式
 
主催者あいさつ  NPO法人遠賀川流域住民の会理事長 
   
主催者あいさつ  
福岡県企画・地域振興部 恵口 勝 部長
来賓あいさつ
遠賀川河川事務所  光橋 尚司所長 

表彰式
 遠賀川景観写真コンテスト及びスケッチコンクール各部門の最優秀賞受賞者の表彰

   
   
   
   

表彰式
 遠賀川景観写真コンテスト及びスケッチコンクール各部門の最優秀賞受賞者の表彰

   
   
  
 
   
   

最優秀賞のご紹介   

基調講演

演題    『官兵衛(黒田藩)と遠賀川の関わりについて』

講師  牛嶋 英俊氏   
             
福岡県文化財保保護指導委員

 
 
黒田官兵衛は来年度の大河ドラマで人気となるでしょうが、一足早く、牛嶋先生にお話を聞きました。一部抜粋してご紹介します。

官兵衛の父職隆は御着城主、小寺正織(姫路市)の家老として姫路城主となり、官兵衛は1546年11月19日に生まれました。その後、官兵衛は織田信長の家来、そして豊臣秀吉の側近として仕えましたが、1589年家督を長男、長政に譲り、隠居して如水と名を改めます。(官兵衛 1604年4月19日 京 伏見の藩邸で死去 59歳)

1600年、黒田藩は中津より筑前(福岡)に藩替えとなり、筑前へ入国、その経路は
  中津→七曲→(仲哀トンネル)→烏尾峠→飯塚・太養院(泊)→八木山→篠栗→吉塚→博多(名島城)に入りました。
入国の翌年、如水は八木山(福岡と筑豊を結ぶ重要ルート)に出向き道路整備に着手しました。その功績として八木山峠旧道の大岩を「如水大名神)として祀られています。

また、福岡城築城のため、如水は自ら木材の調達を行なうため、穂波郡山口村で鋸匠などに指揮。現在の飯塚市から米の山峠、この一帯を如水原と言われるそうです。ここで切った木々は遠賀川を下り、福岡城の築城の木材となったそうです。

如水は筑前六端城(若松・黒崎・鷹取・大隈・左右良・小石原城)の築城を行ないました。これは対立している細川氏との豊前国境の防衛のためのものです。

筑前には2つの大きな川(筑後川・遠賀川)が流れていますが、黒田氏は自由にできる遠賀川を大切にしました。 遠賀川は地勢的位置は九州の北の端、瀬戸内海の西端、筑前の東端(筑前との境・国境の地)。遠賀川下流の地形は古遠賀潟(湾)と呼ばれ、埴生(中間市)あたりまで入り江となっていました。遠賀川の上流からの土砂などが中流域で堆積してできた平野が広がります。緩やかな水流となって、水運が発達、木材や米等を運ぶ船が行交い、流域が豊かになり庄屋が発達してきました。

しかし、一方、土砂が堆積してできた川は梅雨末期になると土砂が流れ出し、東風で積もった砂丘は港を狭くし、遠賀川は暴れ川となって人々を苦しめています。1612年、黒田長政は貴重な水源である遠賀川の治水工事に着手しました。
遠賀・宗像郡など5郡から10万以上、1日1830人が労働し、川の拡幅・直線化・築提・分水などを行ないました。

1624年、遠賀川本流の分水工事。垣生〜古賀間の直線化。下流を東西の分流。西流(旧本流)は古川・白水道となる。「曲の手」にバイパスを通し、中島ができました。その後、河口付近の曲川の直線化など、工事を行なってきました。

遠賀堀川の開削
 元和6年、黒田長政が遠賀郡を巡見。洪水対策として、底井野(中間市)〜同海湾までの新川を立案。栗山大善を総司にし、農閉期に農民を動員して、中間・岩瀬間の2キロ、吉田〜折尾間545mを計画。しかし、宮尾村の地盤が軟弱で工事が難航。さらに長政の死去で工事が中断となりました。

6代目黒田継高(直方藩主になる予定であった)と旧直方藩士によって堀川の掘削工事が再開。中間の取水口から岩瀬〜吉田村〜折尾村則松川までの工事が行なわれました。
 総司は旧直方藩士、櫛橋又之助(郡方元締)、郡奉行、嶋井市太郎、農民の使役頭に底井野村の一田九作。岩盤をヒトキリの工法で切り抜きました。予定の六間の半幅で完成、峠部で川底まで6丈5尺。併せて、中間の取水口唐戸の水門が建設されました。 遠賀堀川は184年の時を経て完成しました。

その後、堀川は明治以降、洞海湾まで石炭船を運ぶ水路として活躍。多い時には水面が見えないほど石炭船が浮かび、黒田藩の置き土産が明治以降の産業の発展の礎となりました。

簡単ではありますが黒田官兵衛の福岡での関わりを抜粋してご紹介しました。「牛嶋先生は歴史は面白いです。歴史はその場で起きる。記録や古文書ばかり見ているとわからない事が実在の現場で見えてくる」と話されていました。悠久の時を経て流れる遠賀川や時代を紡いできた大地。皆さんも足を運んでみてはいかがでしょうか、素敵なロマンが待っているかもしれません。


活動事例発表

①河川浄化とほたるを守る活動について   鶴田 雅晴氏(香月・黒川ほたるを守る会)
黒川は福知山系尺岳に端を発し、畑貯水池脇を流れて遠賀川中流部に合流し、新幹線や都市高速道路の下を流れる都市型の河川です。主な活動は、黒川自然環境の保護、ホタルの保護育成、自然教育の呼びかけ、国際交流の推進等に取り組んでいる。今年、香月・黒川に北九市が「香月・黒川ほたる館」を設立。「ほたる館が地域での活動の拠点となって、川で遊ぼう・川で学ぼうを合言葉に、100年後にもほたるが舞う黒川を子どもたちに残したい。」と話されていました。詳しくはこちらから

 


②サケの放流と環境問題の取り組みついて  小山 真也氏(遠賀町青少年育成町民会議)
                   「環境問題・サケの放流会」部会長

 [サケの稚魚」を育て放流することによって河川の浄化やゴミ問題、環境問題に興味を持ってもらうことを目的に開催。「親子で一緒に卵から育てることによって、誕生やけっして生まれ変わることのできない死について、命の尊さを考えてもらいたい。」と話されていました。詳しくはこちらから

 


③河口堰の役割と機能について   吉永 勝彦氏 (遠賀川河川事務所河口堰管理支所長)
 

 遠賀川河口堰は治水・利水‣塩水の遡上防止を目的に設置されました。洪水時期に河口堰に漂着するゴミは荒ましいものがあります。今年、川と海をつなぎ、魚たちののぼりやすい、生き物も人も集う魚道を目指す、を目的に多自然魚道が完成しました。詳しくはこちらから


④遠賀川流域の野鳥の現状について   梶原 剛二氏 (日本野鳥の会 筑豊 会長)
日本野鳥の会 筑豊は、野鳥や野生の植物の観察を通して自然に親しみ、理解を深め、自然を愛し楽しむ人々の集まりです。また、福岡県筑豊地方および京築地区においては野鳥に関する総合的な見識をもつ唯一の団体です。詳しくはこちらから

 


オープニングアトラクション「筑前女炎太鼓」(水巻町)
力強い太鼓の音が会場に響き渡りました。
   
   


 
 
 
 
   
   
 
 
 
 
  
 
このページのトップへ
 

「ILOVE遠賀川流域住民交流会」について

 平成12年:北九州市市顧問小野勇一氏による「遠賀川の生態系について」の講演。

平成13年:木屋瀬、北九州市長による「公害克服の歴史」講演。

平成14年:赤池町、「はじまりはじまり遠賀川物語」で、5人の語り部によるトーク。

平成15年:直方市、川と遊ぶをテーマに幸野敏治氏(NPO法人河童娯楽部)講演。

平成16年:稲築町、「すばらしい遠賀川にするために」をテーマで開催。

平成18年:飯塚市、「もっと知りたい遠賀川」出版記念シンポジウム開催。

平成18年:田川市、「本当の川とは」をテーマに九州大学教授島谷氏、講演。